倉地加奈子

BIOGRAPHY

倉地加奈子の半生

幼少期1
幼少期2
幼少期3
家具・時代
幼少期4
青春時代1
青春時代2
大人時代

私は幼少期から母に対して
強烈な愛情不足を感じながら育ちました。
生まれた時から既に母と自分との間に壁を感じていて、
その壁をなんとかして壊そうと、
人の役に立てば母から誉められるはずだと信じ、
学芸会の主役に立候補してみたり、
地区のカラオケ大会にエントリーしてみたり、
学級委員をしてみたり、いろいろと挑戦してはみるのですが、
その度に、

「あなたなんかが目立ってはだめ!」
「あなたなんかが前に出てはダメ!」
「失敗すると世の中は怖いのよ!」
褒められるどころか、私が何かで自分を発揮しようとすると
常に反対する。これが私の母でした。

中学校一年生の時、私が盲腸になった時には、
母からこんな言葉を浴びせられます。
「好き嫌いが多いから盲腸になんてなるのよ!」
「お金がかかることばかりして!」
運が悪いことに退院してすぐに、
今度は、肉離れでまたまた病院に担ぎ込まれることになった時には、
病院に駆けつけた母は開口一番、
「また病院にお世話になるなんて何をしてるの!」

心配してくれるどころか血相を変えて怒る母を見て、
「私って生きている意味あるのかな...?」
いよいよ、子どもながらに、精神的に自分を保てなくなっていきましたね。
まもなくして私は、自律神経失調症を発症、
緊急入院をしなくてはならなくなります。
まだ、この病気が世の中に知られる、だいぶ前のお話しです。

結局、私はこの時から十五年以上、
自律神経失調症と付き合うことになり、
大人になるまで通院を続けることになるわけです。
この入院をきっかけに、私の母への気持ちは、
「愛されたい」から「怒り」に変わっていきました。
「お母さんは何も私のことをわかってくれないじゃないか!
私を止めてばかりじゃないか!」

とにかく何をするにも必ず反対する母。
それだけじゃなく、母は、
私を自分の思い通りの人間になるようにコントロールしてくるのです。
高校受験の際には、兄が不合格だった高校に敵討ちだと、
母が指定した高校に無理やり行かされました。
行きたかった志望校に受かっていたのに!ですよ。

二十歳になってできた彼氏に至っては、
飲食店で働いているという理由で別れさせられ、
さらに、就職してからは、仕事の帰りが遅いという理由で怒り狂い、
職場までストーカーのように様子を伺いにくる。
「もう私、大人なのに!」

それだけではありません。
仕事から疲れて、門限を過ぎて自宅に戻ると、
スコップやゴミ箱が飛んでくる...。
自分で書いていても「まあひどい!」
こんな冗談のような生活、これが私の青春時代のすべてであり、
それこそ、道とか世界観とかそんなものとは無縁の
自分のやりたいことを制限させる中で育ったのが私だったのです。

「母から逃げるにはもう誰かと結婚して自宅を出るしかない!」
二十歳を過ぎた頃、私はとんでもない不純な動機で
その時、付き合っていた男性と結婚し、自宅を離れます。
「これで母からは解放され自分らしい生活が待っている!」

そんな希望を抱き、やっとのことで母から離れましたが、
そんな私に待っていたのが、
今度は「何をやってもうまくいかない生活」でした。
「母から離れたはずなのに...。仕事はうまくいかない...。結婚生活も...。
でもなんでなの...?」
私の半生は、母の支配によって作られたと言って過言ではないほど、
母は私に強烈な呪縛を与えていたのでした。

母により幼少期から二十歳を超えるまで、
まったく幸せではない人生を送ってきた私でしたが、
それでも私の唯一の支えと希望になったもの、
それが父の存在でした。
私は大のお父さんっ子でした。愛する父は、
私と母の仲違いを理解してくれていましたし、
常に私の見方でい続けてくれていました。

二十歳を少し過ぎてからの若すぎる結婚も、
「母と離れたいためのもの」という私の真意をわかってくれていたため、
賛成してくれましたし、母とのいざこざで精神的に落ちた時にはいつも、
私の話を聞いてくれる優しい人、それが私の父です。

母から逃れ、スタートした私の結婚後の生活は、ほんと悲惨でしたね...。
理由がわからないのもきつかった...。
精神的にどんどん落ちていき、自律神経失調症に加え、
この時、うつ病も発症します。
結婚も仕事も何もかもうまくいかなくなり、
でもそれが自分でも、なぜこうなっているのかわからない...。
この時の感覚は、何かの箱の中に囚われているような感覚で孤独でした...。

「とにかく助けてほしい...。」
それしか思ってなかった。
この時は常に、生死と隣り合わせだったと思います。

そして、いよいよ精神的限界を迎えた私に、当時の心療内科の先生は、
いったん旦那さんと距離を置いて、父と同居をすることを勧めてくれました。
そうでもしないと私の精神が持たないと判断したのでしょう。

でも実はこれがとても嬉しかった...。
「お父さんが私と一緒に住んでくれる!」
真っ暗な闇の中でも何か希望のようなものが見えた気がしたのです。

しかし次の日、信じられないことが起こります。
私と一緒に住んでくれると昨日、約束したばかりの父が、
あろうことか、原因不明の突然死を遂げたのでした...。

この時の精神的ショックは言葉で言い表せないほどです。
病院に向かったこと、その後、お通夜とお葬式があったこと、
ショックのあまり、覚えていません。
ただ、火葬場で、もうこれで父とは一生会えないんだと認識した時、
我にかえり...、その瞬間、私の中の何かが壊れました。
それと同時にわかったのです。

「父の死は自分が引き寄せた…。」

これは何も、自暴自棄になっていたから、そう思ったのではありません。
私が母を超えられていないことが、うまくいかない結婚を呼び、
うまくいかない仕事を呼び、そして父の死を呼んだ...。
すべてを引き起こしていたのは自分だった...。
そのことがはっきりとわかってしまったのです。

私は母から「あなたは目立ってはいけない」
「自分を発揮してはいけない」と言われ続けて生きてきましたが、
その結末がこれですか。
母からの愛情不足をなんとかして埋めよう埋めようとして生きてきて
自分を発揮しないでおこうと制御し続けたらこうなるんですか。
さすがにぶっ壊れましたね。

それほど最愛の父の死は私にとってショックが大きかった。
でもその時、同時に私の中で湧き上がってくる思いがありました。

「もうこれからは何からも囚われることなく
自分の生きたいように生きよう。」

そう思えた途端に母の背中は小さく見え、
価値観が百八十度変わったような感覚になったのでした。

その後、私は離婚をし、仕事も変えて、
自分の第二の人生をスタートさせました。
三十歳で起業をしたのですが、父の死以前の私なら、
絶対にそんな選択はしていなかったと思います。
母が自営業をすることに大反対していましたしね。
「自営は危険だよ!世の中は怖いよ!」って。

でも、もうそんなことは私にとってどうでもよかった。
もう母のことなんて気にならなくなっていた。
価値観と人間が百八十度、切り替わったのです。

「自分の世界を生きていいんだ!自分を発揮して仕事をしたい!」

これが私が起業することになった理由です。
でも、ほとんどの人もやはりこのような動機から
起業を志すのではないでしょうか?

私は現在、道売りとか世界観を売りにして
ビジネスをするためのお手伝いをさせてもらっています。
それは私自身が、自分の世界で生きられなかったことによって
悲劇を体験したためです。
本当はそれをしたいのに我慢して違う世界を生きていて
破壊が起こるのであれば、
そんな人をもう世の中に生みたくないためです。

今ではわかります。自分の世界で生きること、
こんなに心が自由で楽なことはありません。
しかもそうやって生きている人は魅力を放ち、
その魅力は物質的なものをはるかに凌駕する。
しかも、その人独自の世界は、唯一無二で誰にも演じられないから
比べられることもありません。

本当は道売りをしたいのに術売りしか知らないために満たされない、
モヤモヤしている方は道売りへのシフトを考えるべきです。
自己実現できてない、心が燃えていないことは辛いんですよね。

だからあなたの心を燃やしたい。道売りで。

私は「道売り」をしたい方をこれからも応援し続けます。